はじめに
いせきんぐ宗像・・・別名を「田熊石畑遺跡歴史公園」と言います。田熊石畑遺跡は昭和8年宗像高等女学校(現宗像高校)に赴任中の田中幸夫氏によって発見されたと言われています。ここが弥生時代の宗像の中心的な生活拠点だったということを証明する貴重な遺跡になります。
訪問日:2018年12月18日
環濠~田熊石畑遺跡の始まり~
環濠とは
環濠集落は、人々の住む集落や地下に掘られた穴倉である貯蔵穴などを外敵から守るためにつくられました。ちなみに宗像高校にも環濠があるらしいです
推定船着場とは
環濠の南陸橋のすぐ外側に浅い谷部がある事が確認されました。遺跡の東側を流れる川の川岸がここだけ遺跡側へ入り込んでおり船着場の存在が確認されております。当時、河川を通じ船で運ばれた物資は直ちに環濠内へ納められたと考えられています。
貯蔵穴~弥生時代の地下倉庫~
貯蔵穴とは
貯蔵穴とは・・・地下を掘って食料などを貯蔵・収納する穴倉のことで、弥生時代前期から中期にかけて乾燥した台地の上に数多くつくられました。
掘立柱建物
~ムラの財産を守る倉庫群~
掘立柱建物
地面に穴を掘り、そこに直接柱を立てる日本の伝統的な建物です。三重県伊勢神宮の正殿も伝統的な掘立柱建物で20年ごとにまったく同じ形に建て替える遷宮が行われています。
竪穴住居
竪穴住居とは
地面を堀りくぼめ、屋根をかけた半地下式の原始住居でおもに弥生時代から古墳時代にかけてのです。
区画墓
区画墓とは
有力者の墓域のことで田畑石畑遺跡とほぼ同時代の弥生時代中期では吉武高木遺跡(福岡市)や板付端遺跡(福岡市)吉野ケ里遺跡(佐賀県)などが知られています。
田熊石畑遺跡の区画墓
弥生時代中期(紀元前2世紀頃)に営まれた区画墓です。調査した結果、貴重な武器形青銅器が出土し北部九州でもトップクラスの有力者集団が眠る墓域であることがわかりました。
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